2008-07-25
2008-01-25
実は・・・私はお墓マニア その1
題名を見て。。。引かないでください。
私がもうひとつ、鎌倉に惹かれる訳は、ずばり!お墓。
鎌倉時代の有名な執権、日本文学の有名な文人のお墓が数多くあるのが鎌倉の寺、やぐらだったりします。
あんな有名な人でも、うら寂しい寺の崩れたやぐらとか。。。
栄枯盛衰の世界を身に感じます。
さて、北鎌倉1で紹介した【東慶寺】は文人の墓だらけ。
東慶寺の墓苑案内をします。
【田村俊子の墓】
官能的な退廃美の世界を描いた小説家。う〜ん、、瀬戸内寂聴に通ずるかも。。

【小林秀雄の墓】
文芸評論家、翻訳家。『無常といふ事』、『考えるヒント』、アルチュール・ランボー『地獄の季節』、アラン『精神と情熱とに関する81章』
この人の本は高校生のときに読みましたが、逆転の発想がとても自分の人生で役に立ってるかも。
大好きなランボーの翻訳は、一番私が好きな本です。

【岩波茂雄の墓】
岩波書店創設者。夏目漱石の『こころ』が処女出版。
ジャン・ジャック・ルソーの『エミール』、北欧伝説やカレワラ、アイヌの伝説、イスラム教の『コーラン』など岩波出版でしか読むことの出来ない単行本は多くあります。最近はきれいな表紙ですが、昔はパラフィン紙のような汚さも好きだった。。。
絶版も多くて・・・よく書店を探し回ったものです。

【西田幾多郎の墓】
哲学者、京都学派の創設者。デカルトの文献や『善の研究』は有名。ちなみによく交友関係にあった鈴木大拙の墓も東慶寺にあります。

【前田青邨の墓】
日本画家、歴史画や人物画、花鳥画を得意とし、平山郁夫の師でもある。

こんな人たちが静かな山間の墓苑に眠っているのです。
お墓という場所であるがため静かに、撮影させていただいた後は手を合わせて、お参りしました。
今回、高見順の墓が見つかりませんでした。前に来たとき見つけてたんだけど・・・
こんなところで、文人の人たちに思いを馳せるのも鎌倉のよさだと思ってます。
皆さんもお墓めぐり・・・いかがです?
昔、ヨーロッパに行った時にも音楽家とか哲学者とかの墓ばかり写しました。。≪変人扱いされました。(涙)
私がもうひとつ、鎌倉に惹かれる訳は、ずばり!お墓。
鎌倉時代の有名な執権、日本文学の有名な文人のお墓が数多くあるのが鎌倉の寺、やぐらだったりします。
あんな有名な人でも、うら寂しい寺の崩れたやぐらとか。。。
栄枯盛衰の世界を身に感じます。
さて、北鎌倉1で紹介した【東慶寺】は文人の墓だらけ。
東慶寺の墓苑案内をします。
【田村俊子の墓】
官能的な退廃美の世界を描いた小説家。う〜ん、、瀬戸内寂聴に通ずるかも。。

【小林秀雄の墓】
文芸評論家、翻訳家。『無常といふ事』、『考えるヒント』、アルチュール・ランボー『地獄の季節』、アラン『精神と情熱とに関する81章』
この人の本は高校生のときに読みましたが、逆転の発想がとても自分の人生で役に立ってるかも。
大好きなランボーの翻訳は、一番私が好きな本です。

【岩波茂雄の墓】
岩波書店創設者。夏目漱石の『こころ』が処女出版。
ジャン・ジャック・ルソーの『エミール』、北欧伝説やカレワラ、アイヌの伝説、イスラム教の『コーラン』など岩波出版でしか読むことの出来ない単行本は多くあります。最近はきれいな表紙ですが、昔はパラフィン紙のような汚さも好きだった。。。
絶版も多くて・・・よく書店を探し回ったものです。

【西田幾多郎の墓】
哲学者、京都学派の創設者。デカルトの文献や『善の研究』は有名。ちなみによく交友関係にあった鈴木大拙の墓も東慶寺にあります。

【前田青邨の墓】
日本画家、歴史画や人物画、花鳥画を得意とし、平山郁夫の師でもある。

こんな人たちが静かな山間の墓苑に眠っているのです。
お墓という場所であるがため静かに、撮影させていただいた後は手を合わせて、お参りしました。
今回、高見順の墓が見つかりませんでした。前に来たとき見つけてたんだけど・・・
こんなところで、文人の人たちに思いを馳せるのも鎌倉のよさだと思ってます。
皆さんもお墓めぐり・・・いかがです?
昔、ヨーロッパに行った時にも音楽家とか哲学者とかの墓ばかり写しました。。≪変人扱いされました。(涙)
2008-01-25
歴史散策 東慶寺
東慶寺は駆け込み寺として有名です。
それは江戸時代の女人救済を目的に、この寺で縁切りの寺法。。。離縁状を書くその文章がちょうど三行半にわたったので、三行半(みくだりはん)という言葉が出来たと言われてます。
江戸幕府の保護を受け、格式の高い寺でしたが。。。
明治政府の政策で縁切寺法は、廃止されました。
そして代々尼住職が務めたこの寺も、男性の住職が入り臨済宗円覚寺派の禅宗の寺になりました。
開山の祖は、鎌倉時代の半ば。執権北条時宗の正室で堀内殿と呼ばれていた。
三浦一族が滅ぼされた後、安達の天下になった安達義景を父に、北条政子の末弟・連署北条時房の娘を母に持つ彼女は、10歳で11歳の8代執権時宗に嫁ぐ。
時宗の父、5代執権時頼の母も安達の娘、松下禅尼。しかも時頼は時宗が6歳のときに亡くなり、同じく堀内殿も1歳で父の安達義景が亡くなり、お互い小さいときから仲良く幼馴染のように暮らしていたようだ。
彼女が嫁いだ時宗は、18歳で執権となり2度に渡る蒙古の襲来、元寇を経験し、困難な幕府の舵取りをさせられる。
そんな彼女は仲睦まじく34歳で時宗は臨終に先立ち、出家入道する。夫人も落髪付衣し、無学祖元から覚山志道と安名された。
弘安八年(1285年)。
彼女は、【覚山志道尼(法名は潮音院殿)】と呼ばれ、山ノ内に 東慶寺を開創。(覚山尼は不法の夫に身を任せた女性を不憫に思い、この寺に駆け込む ことによって女性を救う「縁切」寺法を始めたと伝える。)
【覚山志道尼の墓】

その後第5世用堂尼(後醍醐天皇の皇女・大塔宮護良親王の姉)は、親王の菩提のために入寺以後、比丘尼御所門席紫衣寺となり、以後松ヶ岡御所と称され、寺格の高い尼寺としてその名を馳せるようになった。
さらに時代が下って、1615年徳川家康は、夏の陣で豊臣家を滅ぼし秀頼の子国松は京都六条河原で処刑、娘の扱いに腐心する。孫娘の千姫の助命嘆願もあり、7歳の娘は東慶寺に入り天秀尼となる。
その天秀尼が家康から望みを聞かれ「開山以来の寺法が断絶することのないように」と願い出て許されたことが、縁切り寺法に繋がって、江戸時代の間効力を発することになったのです。
【20世 天秀尼の墓】

覚山尼、用堂尼、天秀尼、、それぞれに激動の歴史の中で何を思い、仏に向かっていたのでしょう。
そんな歴史も含めて、東慶寺の縁切り寺法が続いていたのです
それは江戸時代の女人救済を目的に、この寺で縁切りの寺法。。。離縁状を書くその文章がちょうど三行半にわたったので、三行半(みくだりはん)という言葉が出来たと言われてます。
江戸幕府の保護を受け、格式の高い寺でしたが。。。
明治政府の政策で縁切寺法は、廃止されました。
そして代々尼住職が務めたこの寺も、男性の住職が入り臨済宗円覚寺派の禅宗の寺になりました。
開山の祖は、鎌倉時代の半ば。執権北条時宗の正室で堀内殿と呼ばれていた。
三浦一族が滅ぼされた後、安達の天下になった安達義景を父に、北条政子の末弟・連署北条時房の娘を母に持つ彼女は、10歳で11歳の8代執権時宗に嫁ぐ。
時宗の父、5代執権時頼の母も安達の娘、松下禅尼。しかも時頼は時宗が6歳のときに亡くなり、同じく堀内殿も1歳で父の安達義景が亡くなり、お互い小さいときから仲良く幼馴染のように暮らしていたようだ。
彼女が嫁いだ時宗は、18歳で執権となり2度に渡る蒙古の襲来、元寇を経験し、困難な幕府の舵取りをさせられる。
そんな彼女は仲睦まじく34歳で時宗は臨終に先立ち、出家入道する。夫人も落髪付衣し、無学祖元から覚山志道と安名された。
弘安八年(1285年)。
彼女は、【覚山志道尼(法名は潮音院殿)】と呼ばれ、山ノ内に 東慶寺を開創。(覚山尼は不法の夫に身を任せた女性を不憫に思い、この寺に駆け込む ことによって女性を救う「縁切」寺法を始めたと伝える。)
【覚山志道尼の墓】

その後第5世用堂尼(後醍醐天皇の皇女・大塔宮護良親王の姉)は、親王の菩提のために入寺以後、比丘尼御所門席紫衣寺となり、以後松ヶ岡御所と称され、寺格の高い尼寺としてその名を馳せるようになった。
さらに時代が下って、1615年徳川家康は、夏の陣で豊臣家を滅ぼし秀頼の子国松は京都六条河原で処刑、娘の扱いに腐心する。孫娘の千姫の助命嘆願もあり、7歳の娘は東慶寺に入り天秀尼となる。
その天秀尼が家康から望みを聞かれ「開山以来の寺法が断絶することのないように」と願い出て許されたことが、縁切り寺法に繋がって、江戸時代の間効力を発することになったのです。
【20世 天秀尼の墓】

覚山尼、用堂尼、天秀尼、、それぞれに激動の歴史の中で何を思い、仏に向かっていたのでしょう。
そんな歴史も含めて、東慶寺の縁切り寺法が続いていたのです
2008-01-22
紅葉狩り 北鎌倉 2 明月院にて
北鎌倉駅から歩いて5分あまりの【東慶寺】を後にして、そこからさらに歩いて7分ぐらいだろうか。。。
山あいに奥へと続く道には小さな川が流れ、紅葉で風情をかもす道の奥にそのお寺があります。
本当に有名な寺、春の紫陽花で囲まれる姿は花の寺にふさわしいのですが・・・
実は紅葉でもきれいな寺なのです。特に本堂の庭は美しい。
【北鎌倉 福源山 明月院山門】(別名:あじさい寺)

【明月院 枯山水庭園】

【明月院 本堂より後庭を覗く】

【うさぎの屏風】

【明月院 鎌倉十井の1つ「瓶(つるべ)の井」】

【明月院 開山堂】

明月院が有名なのは、春に一面の紫陽花はそれは見事なくらいきれいで、人に多い尽くされます。
それゆえ、別名を【あじさい寺】と呼ばれます。
この寺は、臨済宗建長寺派の禅宗の寺。
本来は枯山水の庭や、非公開の後庭にある大きな池が美しいのです。
鎌倉にはこうした禅宗の世界観で作られた庭がたくさん存在します。
この寺は、鎌倉幕府第5代執権、北条時頼の墓があります。
北条時頼が建長寺を建立した前から存在し、最明寺入道として政治の実権を握ることになり、得宗専制政治の始まりを築いた人になった。
この話は、お墓と一緒に別途日記にします♪
とにかくいろいろな歴史をくぐったお寺なのです。
そんな歴史を散策するのが大好きです。
山あいに奥へと続く道には小さな川が流れ、紅葉で風情をかもす道の奥にそのお寺があります。
本当に有名な寺、春の紫陽花で囲まれる姿は花の寺にふさわしいのですが・・・
実は紅葉でもきれいな寺なのです。特に本堂の庭は美しい。
【北鎌倉 福源山 明月院山門】(別名:あじさい寺)

【明月院 枯山水庭園】

【明月院 本堂より後庭を覗く】

【うさぎの屏風】

【明月院 鎌倉十井の1つ「瓶(つるべ)の井」】

【明月院 開山堂】

明月院が有名なのは、春に一面の紫陽花はそれは見事なくらいきれいで、人に多い尽くされます。
それゆえ、別名を【あじさい寺】と呼ばれます。
この寺は、臨済宗建長寺派の禅宗の寺。
本来は枯山水の庭や、非公開の後庭にある大きな池が美しいのです。
鎌倉にはこうした禅宗の世界観で作られた庭がたくさん存在します。
この寺は、鎌倉幕府第5代執権、北条時頼の墓があります。
北条時頼が建長寺を建立した前から存在し、最明寺入道として政治の実権を握ることになり、得宗専制政治の始まりを築いた人になった。
この話は、お墓と一緒に別途日記にします♪
とにかくいろいろな歴史をくぐったお寺なのです。
そんな歴史を散策するのが大好きです。
2008-01-17
紅葉狩り 北鎌倉 その1 東慶寺にて
昨年の12月7日に、北鎌倉に一人で紅葉狩りに行きました。
昔から大好きなところです。私をお寺マニア、お墓マニアにしたお寺。
初めて訪れたのは、中学生のとき。
今も変わらない境内の・・・静寂さ。
北鎌倉は、早春と錦秋から晩秋が一番きれいです。
今日も静かに紅葉だけが待っていてくれました。
【北鎌倉 松岡山 東慶寺】(別名:縁切り寺)

【東慶寺 本堂の前庭のいろは紅葉】

日差しを浴びたいろは紅葉の美しさ。
【東慶寺 境内の菖蒲園前の金仏・阿弥陀如来像】

【東慶寺 本堂入り口のいろは紅葉、前庭の石灯籠】(3番目の写真の反対側からの写真です。)

【東慶寺 入り口の山門】(ガイドブックやドラマ、映画によく登場します。)

お寺の境内に墓地があります。
その墓地には数々の有名な人のお墓があるのです。
鎌倉時代の歴史を感じるとき、文学者を思い起こしながら、静かに歩いてたずねるのが、北鎌倉のよいところでしょう。
お墓と別のお寺も後で紹介します。
昔から大好きなところです。私をお寺マニア、お墓マニアにしたお寺。
初めて訪れたのは、中学生のとき。
今も変わらない境内の・・・静寂さ。
北鎌倉は、早春と錦秋から晩秋が一番きれいです。
今日も静かに紅葉だけが待っていてくれました。
【北鎌倉 松岡山 東慶寺】(別名:縁切り寺)

【東慶寺 本堂の前庭のいろは紅葉】

日差しを浴びたいろは紅葉の美しさ。
【東慶寺 境内の菖蒲園前の金仏・阿弥陀如来像】

【東慶寺 本堂入り口のいろは紅葉、前庭の石灯籠】(3番目の写真の反対側からの写真です。)

【東慶寺 入り口の山門】(ガイドブックやドラマ、映画によく登場します。)

お寺の境内に墓地があります。
その墓地には数々の有名な人のお墓があるのです。
鎌倉時代の歴史を感じるとき、文学者を思い起こしながら、静かに歩いてたずねるのが、北鎌倉のよいところでしょう。
お墓と別のお寺も後で紹介します。
2007-09-27
残ったお月見の団子は。
2007-09-22
【小説】蒼空の幻想 〜ブダペストの憂愁(1)
老婆は、ホームをどんどん出口のほうに歩いていった。
私たち4人は遅れまいと、荷物を引っ張り、慌しく後を付いて歩く。
彬良が、私の隣に来た。
「ねえ、大丈夫かな? このおばあさん信用してさ。」
彬良の不安そうな顔は、きっと知らない土地で誰もが感じる疎外感なのかもしれない。
「大丈夫よ。だって、日本人知ってるって言っていたでしょ。成田さんも知ちゃんもいるんだもの。」
彬良はそっか。。と言いながら、にっこり笑った。
そう、今は私は一人じゃない。知ちゃんもいるし、達也もいる。彬良だっているから、4人で楽しく旅もできる。
この場所でこの4人がいるのも何かの縁なのだろう。
程なく、天井の高い、きれいなガラスがたくさん使ってあって、明るい駅舎から外にでた。
広場に出ると明るさが眩しかった。
でも、街角は埃っぽくて、街灯の間にトラムの乗り場があった。どうやらトラムに乗るらしい。
程なくトラムが来た。2両の長い編成で、なぜか懐かしい細長い車両だった。
どんどん郊外に向かい、10分ほど乗ると閑静な住宅地に出た。
ここで降りるらしい。。
すぐ傍にピンクのコンドミニアムがあって、そこの家に入っていった。
古くて長い廊下で、部屋に入ると老婆がソファーに座るように言われた。
荷物を置いていると、老婆は部屋を出た。
4人でTVを見てると。。日本のニュースが流れた。
国会の風景だが、何を言ってるのか判らない。。。思わず笑う。
知ちゃんと私も顔を見合わせて笑った。
テーブルがあるので、どうやらここで朝食をとるらしい。
老婆が部屋の用意が出来たと呼びに来た。
私達、知ちゃんと私が通された部屋は、薄いグリーンの壁紙のある簡易ベットの部屋だった。
達也と彬良は隣の部屋に入っていった。
程なくノックがして、扉が開かれた。
「どう? すぐ片付きそうかな?」
達也が入ってきた。
「へえ。。きれいな部屋だな。僕達のほうは、まあまあかな。
あ、そうそう、片付いたらお昼食べたりして、町に出ようよ。様子見てくるように彬良に言われたんだ。」
達也はキョロキョロと見回していた。
「そうね、30分もすれば出れるわよ。」
知ちゃんが答えた。
私もうなずいて、後で一緒に待ち合わせて行く事になった。
ざっと、荷物を片付けた私達は、ガイドブックと会話帳、お水をバックに入れた。
そして、着替えてから汗をかいたTシャツとタオルを簡単に洗って、ヒモに干すと、身支度も整え隣の部屋に向かった。
部屋のドアをノックすると、達也と彬良が仕度を整えて出てきた。
どうやらとっくに身支度していたらしい。
最初に通された部屋にいた老婆に、外出を伝えて4人で出かけた。
行き先は、ドナウ河のある旧市街。
トラムに乗り、地下鉄に乗り換え、駅を降りると。。。
旧市街の町並みが広がる広場に出た。
樹の合間からフェンス越しに川が光ってる。
行き交う船も見え、流れがゆったりなのが判る。
ドナウ川だ。。。。
向こうには、小高い丘があり、漁夫のとりでと応急の影が見える。
ここは間違いなく、ブダペストなんだ。。
リストが愛して、エリザベートが愛した街。やっとここまでやってきたんだ。。
そう思うと胸が一杯になった。。。
木陰で、辻楽師がバイオリンを弾いていた。
左に石畳の路地が奥へと繋がってる。
街は古いよきヨーロッパを現すように、お店が続いていた。
私たち4人は遅れまいと、荷物を引っ張り、慌しく後を付いて歩く。
彬良が、私の隣に来た。
「ねえ、大丈夫かな? このおばあさん信用してさ。」
彬良の不安そうな顔は、きっと知らない土地で誰もが感じる疎外感なのかもしれない。
「大丈夫よ。だって、日本人知ってるって言っていたでしょ。成田さんも知ちゃんもいるんだもの。」
彬良はそっか。。と言いながら、にっこり笑った。
そう、今は私は一人じゃない。知ちゃんもいるし、達也もいる。彬良だっているから、4人で楽しく旅もできる。
この場所でこの4人がいるのも何かの縁なのだろう。
程なく、天井の高い、きれいなガラスがたくさん使ってあって、明るい駅舎から外にでた。
広場に出ると明るさが眩しかった。
でも、街角は埃っぽくて、街灯の間にトラムの乗り場があった。どうやらトラムに乗るらしい。
程なくトラムが来た。2両の長い編成で、なぜか懐かしい細長い車両だった。
どんどん郊外に向かい、10分ほど乗ると閑静な住宅地に出た。
ここで降りるらしい。。
すぐ傍にピンクのコンドミニアムがあって、そこの家に入っていった。
古くて長い廊下で、部屋に入ると老婆がソファーに座るように言われた。
荷物を置いていると、老婆は部屋を出た。
4人でTVを見てると。。日本のニュースが流れた。
国会の風景だが、何を言ってるのか判らない。。。思わず笑う。
知ちゃんと私も顔を見合わせて笑った。
テーブルがあるので、どうやらここで朝食をとるらしい。
老婆が部屋の用意が出来たと呼びに来た。
私達、知ちゃんと私が通された部屋は、薄いグリーンの壁紙のある簡易ベットの部屋だった。
達也と彬良は隣の部屋に入っていった。
程なくノックがして、扉が開かれた。
「どう? すぐ片付きそうかな?」
達也が入ってきた。
「へえ。。きれいな部屋だな。僕達のほうは、まあまあかな。
あ、そうそう、片付いたらお昼食べたりして、町に出ようよ。様子見てくるように彬良に言われたんだ。」
達也はキョロキョロと見回していた。
「そうね、30分もすれば出れるわよ。」
知ちゃんが答えた。
私もうなずいて、後で一緒に待ち合わせて行く事になった。
ざっと、荷物を片付けた私達は、ガイドブックと会話帳、お水をバックに入れた。
そして、着替えてから汗をかいたTシャツとタオルを簡単に洗って、ヒモに干すと、身支度も整え隣の部屋に向かった。
部屋のドアをノックすると、達也と彬良が仕度を整えて出てきた。
どうやらとっくに身支度していたらしい。
最初に通された部屋にいた老婆に、外出を伝えて4人で出かけた。
行き先は、ドナウ河のある旧市街。
トラムに乗り、地下鉄に乗り換え、駅を降りると。。。
旧市街の町並みが広がる広場に出た。
樹の合間からフェンス越しに川が光ってる。
行き交う船も見え、流れがゆったりなのが判る。
ドナウ川だ。。。。
向こうには、小高い丘があり、漁夫のとりでと応急の影が見える。
ここは間違いなく、ブダペストなんだ。。
リストが愛して、エリザベートが愛した街。やっとここまでやってきたんだ。。
そう思うと胸が一杯になった。。。
木陰で、辻楽師がバイオリンを弾いていた。
左に石畳の路地が奥へと繋がってる。
街は古いよきヨーロッパを現すように、お店が続いていた。











